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最近の日記::戦時合併の話とか
- 2005年2月16日(水曜日) 18時34分
- category:鉄道話


今JR南武線と呼ばれている路線は、太平洋戦争の半ばまで「南武鉄道」という名前で運行されていて、立派な「私鉄」だった。この路線を南北で挟むように存在している「鶴見線」や「青梅・五日市線」も、それぞれ「鶴見臨港鉄道」「青梅鉄道」「五日市鉄道」という名称を持った私鉄であり、これらは戦時統合の名の下に国に買収され、国鉄の一部となった。
今でもJR青梅線の青梅駅は、青梅鉄道時代に本社として使われていた建物を駅舎としている。この建物の地下には小さいながらも「地下街」が形成されていたと言い、雨でも濡れずに買い物が出来るという触れ込みであったとか、青梅には古くから馬車鉄道が運行されていて、青梅鉄道の開通初期には馬車鉄道と十時に平面交差する場所があったとか、他の私鉄各社同様歴史を感じさせる伝聞は沢山ある。
この南武鉄道を中心とした路線網は、その殆どが旧浅野財閥によって興されたもので、所謂貨物輸送(セメントや川砂利をメインとした)の為に形作られた。旧浅野財閥系の浅野セメントは、青梅・南武の鉄道路線を失ったけれど、現在では合併を繰り返し太平洋セメントとその名を変えて現存している。また、EF15型の晩年を飾った奥多摩から運び出される石灰石列車は、似たような運命を持つ奥多摩電鉄が開通させた青梅~氷川間がその大元となっていて、同じように路線は青梅鉄道と共に国鉄に買い取られたままとなったけれど、それを採掘する奥多摩工業は生き延びた。
戦中期にはこうした国による鉄道会社の統合や買収が全国的に行われ、驚異的なスピードを誇った阪和鉄道や、現在の仙石線であり、恐らく初めての地下駅を建造した宮城電気鉄道など、特色のある鉄道が次々に国鉄へと買収されて、戦後その色は次第に失われていった。また、大東急の様に東急・小田急・京王帝都・京浜が一つの会社としてまとめられたり、地下鉄道の統一化を図るという名目で帝都高速度交通営団が発足したりもした。
この時期は、ベンチャー精神に溢れた志士たちが路線を乱立させた鉄道黎明期からの流れを決定的に断ち、財閥解体と終戦後の復興期を経験していって、所謂近代的な鉄道会社が成り立っていった。また、戦争は狭い日本列島のあちらこちらに軍事拠点を作り出し、それに付随する鉄道路線もまた網の目のように張り巡らされた。現在でもそれを旅客や貨物運用に利用している所もあれば、影も形も無くなっている所もある。歴史から、そんな場所を探して歩くのも鉄道趣味の一つだし、逆に今ある鉄道会社からその歴史を紐解くのもまた、味があって楽しいものだ。
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コメント(3)
その鶴見線ですが、駅名に当時の名士の名が付いてるんですよね。
浅野とか(鶴見)小野とか,安善(安田善次郎)とか(武蔵)白石とか。
昔、クモハ12系に乗りたくて海芝浦まで行った思い出があります。
東上線ネタばかりで申し訳ないのですが、東上線もかつて秩父あたりからセメントを運ぶ貨物列車が運行されておりました。現在も貨物専用路線だった遺構が、関越自動車道の上にかかっています。高坂あたりでその物件を観察できます。
http://badgermy.hp.infoseek.co.jp/discont/takasaka.htm
そう言えば東上線・本線系関わらず活躍している8000系という形式がありまして、これは私鉄界では最も多い量数を生産した形式なのですが、今度更新工事が行われてどうやら本線系統のローカル区間へ転出する様子です。8両固定を3両編成にしたり、結構大がかりな更新・改造になる模様。今後がどうなるか注目です。
って、俺だけか。